“ポリティカルコレクトネスとは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指す。政治的妥当性とも言われる。”
と、ウィキペディアにあります。
看護婦が看護師。保母が保育士。スチュアーデスはCA(キャビンアテンダント)、客室乗務員。黒人はアフリカ系~人。インディアンがネイティブアメリカンなどと呼ばれるようになったのがその表れ。
さらにこれがより細かくなって、ご主人、旦那さん、奥さんなど性別による役割の決めつけすら良くないそうでございます。
また、そうした性別の狭間で揺れ動く人たち、かつてはオカマなどと蔑称で呼ばれた人たちも、こういった呼び名は明らかな差別用語とされ、今では性同一性障害、トランスジェンダーなどと呼ばれるようになりましたね。
また身体の一部が機能不全に陥った人を呼ぶにも昔はそれぞれの障害に個別の呼称があったのが、今ではその不自由な器官の後に、~の不自由な人などと呼ばねばならぬようになっております。ですからブスなどと言うのはもってのほか、顔の造作の不自由な人と言わねばなりません。
ただしそういった元の障害を表す言葉から派生して、別の意味として使われる言葉も一緒くたに禁止してはたして良いものかというのが、言葉狩りという論点でよく議論に上るところでございます。
たとえば、めくらめっぽう、つんぼ桟敷、いざり寄る、かたちんば。あるいは何かにとりつかれたように熱中する様を~キチガイと言ったり、我が子を贔屓目に扱う事を親ばかと呼ぶというのもはたして駄目なのでしょうか。
ただし、自動車事故において後続車が前方不注意などで前の車に後ろから追突することを、オカマを掘るなどと言いますが、これなどはもうポリティカルコレクトネス以前の品性の問題。昔、まだ歳若い女の子が「うちの兄ちゃん近所の交差点で信号待ちしとったらなー、後ろから来た軽トラにオカマ掘られてムチ打ちなってもてん」なんて何の恥じらいもなく言うのを聞いて、我が耳を疑ったことがございます。きっとこの少女はそのオカマを掘るという元の意味を知らずに言葉を発したのでしょうが、いや無知ほど恥ずかしいことはないものよなーと、自分の無知を棚に上げてひと嘆きしたものでございます。そしてその時ふと思ったのが、後部からの追突をオカマを掘ると言うのであれば、正面衝突はなんと呼べばいいのかと思い悩み、根がスケベなわたくし、数々の破廉恥な言葉を頭の中で巡らせては独り薄ら笑いを浮かべたりしたものでございます。
あるいはまた、ルッキズムという言葉もございます。これは外見至上主義と訳されているようで、外見によって人物を評価するという事で、これによる差別や偏見という事もその意味合いに含まれるそうでございます。たとえば美人とか美女なんて言葉もこれに引っかかるそう。これが駄目ならもっと下品な言葉で言い換えるしかないと言葉狩りに抗議して断筆宣言までされた筒井康隆先生は皮肉を込めて嘆いておられます。
さて、そこでハゲという言葉がこのルッキズムあるいはまた、ポリティカルコレクトネスに引っかかるかどうかという議論を、最近読んだ昔出版された本、つまり古本で買った「ショージ君の養生訓」のなかでその本の作者東海林さだおさんとゲスト清水ちなみさんの対談「禿頭をとくと考える」の中で語られております。
日本においては禿頭、つまり禿げ頭の人に面と向かってハゲと言えばこれはれっきとした悪口。アホ、バカに準ずる罵詈雑言の一つなわけですが、外国ではこれが悪口とはならないらしいのです。ブロンド、ブルーネット、赤毛などと並びハゲは純然たる頭部の特徴のひとつであり、顔面とのバランスにもよりますが、これがカッコいいチャームポイントとなる場合すらあるのは、過去のハゲの有名映画俳優、ユル・ブリンナー、テリー・サバラス、 ショーン・コネリーが証明しております。
されば、なぜ日本の場合のみ悪口になるかと言えば、日本の場合ハゲ=スケベという常識が定着しているからという仮説を東海林先生は力説されております。
確かにハゲは男性型脱毛などと呼ばれ、医学的には男性ホルモンの分泌が多いほどに頭髪は抜け、性欲は増進されるとか。
まあわたくしの周りを見回しても、確かに禿げた人の方があちらの方もお強いようで、わたくしの先輩にあたる禿頭の方々も、未だマカや亜鉛やマムシにスッポンなどのサプリメントを摂取し、健康維持の大義名分のもと、秘かに精力維持、性力増強に励み、いざ鎌倉てな時の為に南蛮渡来の秘薬を常にこっそりカバンの奥に忍ばせているなんて猛者が数人いるから驚きです。
あれ?ポリティカルコレクトネスから大幅に話題が横道に逸れちゃいましたが、実は宝石にもこのポリティカルコレクトネスの問題があるのでございます。
宝石を貴石、半貴石と分類する見方がございます。貴石というのは古くから四大宝石あるいは五大宝石などと呼ばれる、古来より世界中で珍重されてきた人気の宝石、すなわちダイアモンド、エメラルド、ルビー、サファイアで、これにアレキサンドライトかヒスイを加えて五大という場合もございます。英語ではプレシャスストーンなどと呼ばれいかにも宝石の特権階級のような扱いですが、それ以外の宝石はなんと呼ばれるかというと、セミプレシャスストーン、半貴石などと呼ばれるわけであります。
おうおうおう!そりゃあんまりじゃねーか、そんな不平等、お天道様は見逃してもこの遠山桜が見逃すわけにゃーいかねーのさ、と金さんが紋々見せびらかせながらお出ましになるまでもなく、天下のGIAが業界に先駆けこういった呼び名は止めましょうと、その教育プログラムで以前から訴えております。特に宝石を販売する方たちはこんな差別を宝石の分類に持ち込むことは、自らの首を絞める愚行も同然。宝石はどれもが素敵なプレシャスストーンなのでございますよ。
さて、そのセミプレシャスストーンという不名誉な名前で長らく呼ばれていた代表的な宝石の一つにガーネットがございます。ガーネットと一言に申しましても、この宝石、親せき縁者が多数ございまして、30種類以上もある異なる色目をもつと言われるガーネットグループを構成しております。中でも皆様お馴染みなのが赤や紫系統のアルマンダイトガーネットやロードライトガーネットなのですが、こちらにご覧いただいている緑の宝石も何とガーネットなのでございます。
こちらはその色目から、一般的にグリーンガーネットと呼ばれている宝石なのですが、正式にはグリーングロッシュラーライトガーネットと呼ばれる宝石。その産地にちなんでツァボライトなどと呼ばれることもございます。こちらのガーネット、アルマンダイトやロードライトと異なり産出量の少ない希少な石なのでございます。
如何でございましょう、この貫禄、この存在感。グリーンの宝石と言えばエメラルドでございますが、インクルージョンで濁った三流どころのエメラルドよりはるかに美しいではございませんか?同じく貴重なグリーンのガーネットとして有名なデマントイドガーネットと比べますと、デマントイドが黄緑のライトな感じなのに対し、こちらはご覧の通りの深緑。重厚な趣
日本画壇の巨匠、東山魁夷画伯が唐招提寺の依頼を受け、およそ制作に十年の歳月を費やし完成させた、鑑真和上にささげた六十枚を超える襖絵。その中の「山雲」と題された日本の深山幽谷を描いた襖絵。幾重にも木々が重なり鬱蒼と茂る、まさに神が宿るような森林の実に深い緑。そんな神々しくも神秘的な緑がこの石にも宿っているのでございます。
都会の喧騒の中にあっても、この宝石をお供となされば、ふとそこに視線を落とす度に、幽玄の森にいざなわれたように、ひと時の癒しがあなた様にもたらされるのでございます。
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