猫娘、パパにおねだりしてみたら?

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前回、前々回のブログでも取り上げました谷崎文学でございますが、今回も谷崎つながりといふ事で、先生が晩年にお書きになった「瘋癲老人日記」を取り上げたいと存じます。

こちらタイトルには日記とございますが、実はこれは日記の体裁をとった小説。ただしこの小説を執筆された当時は、作者の谷崎先生もすでに主人公と同年代の老人だったので、多分にご自分の老境の姿、日常を作品に投影しておられるのではないかと推察されます。

主人公は表題の通りの老人で、小説自体がこの老人が記す日記の体裁なのですが、その老人に瘋癲(ふうてん)と付くからにはタダの年寄ではない。

近頃は瘋癲などという言葉は最早死語となっており、その断末魔の爪痕が、映画でおなじみの「男はつらいよフーテンの寅」。とはいえ、現代の若者がこのタイトルを見れば、このフーテンというのはさしずめ何かの職業か何か、もし映画をご覧になれば、寅さんの本業、テキヤ業の事をフーテンと呼ぶんだ、なんて早合点してしまう人がほとんどではないかと思うのですが、実はさにあらず。ウィキペディアをググると、瘋癲とは精神疾患あるいは、無職と出てまいります。さてこの小説に出てくる老人、確かに隠居の身ゆえ無職には違いないが、所謂有産階級、ブルジョアジー、悠々自適の暮らしぶり。ですからこの作品の場合の瘋癲に当てはまるのは明らかに精神疾患、すなわちクレイジーの方。

さて、ではいかようにクレイジーな爺さんかと申しますと、この老人、御年七十七歳、卯木督助という名前なのですが、あろうことか広いお屋敷内に同居する自分の息子の妻、颯子に不埒にも、秘かに下心とも呼べる想いを寄せているのでございます。

この老人、老人というだけあってかなりの老いぼれぶり。口蓋内の総入れ歯に始まり、慢性的な高血圧。加えて男性機能の喪失。何年か前に一度脳溢血で倒れており、その後遺症からか、左手には絶えず神経痛の鋭い痛みが襲い、薬が手放せないのはもとより、お抱え看護婦が常時付き添っているような有様。

独り暇なときには自分の葬式の模様を夢想したり、その後に葬られる墓の事をいろいろ心配したりと、最早文字通り人生終末期の暮らしぶり。

しかるに恐るべし、未だ枯れることを知らぬ、たぎり立つスケベ心は健在。アッパレ!としか言いようがない。

この卯木家の嫁、颯子という女性、良家の嫁に似つかわしくない、日劇ダンシングチーム崩れの水商売上がりという設定で、なかなかの白皙美貌の悪女。今風に言うならば色白美肌の美魔女。舞台設定が昭和三十五年頃の東京でありますが、自家用車未だ珍しい時代に、既に自分専用のヒルマンなる英国車を自ら運転し、一人息子はあるものの、日々スポーツ観戦や観劇など自由奔放な暮らしぶりを送っております。

そしてその夫、すなわち卯木老人の息子は、一流企業に勤めるエリートサラリーマンなのでありますが、どうやら外に不倫相手の女がいる模様。それに当てつけてか、妻の颯子もしばしば夫の従妹に当たる男性を家に引っ張り込んでは不義密通、不道徳極まりない仮面夫婦なのでございます。

そして何より凄いのがこの嫁、颯子の振る舞い。この卯木老人が自分に対して何やら怪しい下心を抱いていると感づくや、なんとこの老人の気持ちを一層焚きつけるような行動に出るのです。

この卯木家、大金持ちのお家にふさわしく、昭和の中期にもかかわらず、バスルームにはシャワーカーテンが設備されたバスタブが設えられてあるのです。颯子はこのバスルームを自身が使う時には、一切施錠してない事を敢て老人にこっそりと耳打ちするのです。

さあ、これを聞いたスケベ老人、正に猫にマタタビ、ゴキブリにホイホイ、早速にも浴室に闖入を企てるのですが、それに感づいた颯子少しも臆せず、シャワーカーテンに裸身を隠しながらも、老人をさらに挑発いたします。その結果ついに理性のタガが外れた老人、思わず颯子ににじり寄り、その水滴輝く白い首すじに老いぼれ干からびた唇を這わそうとした瞬間、颯子にその横面を激しく張り飛ばされるのであります。その時はそれで事なきを得、老人はすごすごと退散いたします。

しかしこれで懲りるようなヤワな助平爺さんじゃあございません。後日またこの老人、性懲りもなく嫁の入浴中のバスルームにためらうことなく侵入いたします。

そして、この時は老人に根負けした体を装いながら、悪女颯子、首は弱いから、脚への口付けなら構わないと譲歩してみせるのです。これに狂喜した老人はその美しい脚のふくらはぎから、かかと、足の甲と順番に唇を這わせ、遂には親指から順番に、足指全部を、まるで飢餓に苛まれた人が久々の食い物にありついたがごとくに丸かじり、口いっぱいに頬張り、忘我の極みに達します。

さてその夜、老人の血圧を測ったお抱え看護婦はその値が二百三十を超えるのに驚愕し、何があったか老人に問いただします。もちろん老人は全く身に覚えがないと、すっとぼけるのでありますが、たちまち当時の状況が脳裏に蘇り、あの極度の興奮状態が自らの死を招いたかもしれなかったと悟ります。しかし爺さんに悔悟の気持ちが湧くどころか、死なば本望だと開き直る始末。

それからもこの老人の命がけの密やかな楽しみは、甲斐甲斐しい嫁の介護のもとに続けられていくのですが、ある時颯子から新たな提案がなされます。その提案というのは、なんと最初老人が激情にまかせ試みようとした首筋への接吻、作中ではネッキングと呼んでおりますが、これを許してあげるかわりに自分の望みも叶えて欲しいというもの。老人は早速その望みを質すも、颯子これに答えず、「まあ、とにかくネッキングをなさい」とあたかも女王様のごとく命じます。老人の日記本文によると、「結局、余の方が誘惑に負けた。余は二十分以上も所謂ネッキングを欲しいままにした」と、もう大満足の様子。

ただし、その後の颯子の要求が凄まじい。その要求とはキャッツアイの指輪を買って欲しいというもの。しかもその指輪はただのありふれた品物では無い。なんとそれは帝国ホテルのショッピングアーケードにあるお店で売っている、中石のキャッツアイが十五キャラットを超える、三百万円もする逸品。この小説が書かれた昭和三十年代の大卒初任給が平均一万円らしいので、その値打ちたるや今の貨幣価値に換算すると優に五、六千万は超える額。

さすがの瘋癲老人も一瞬たじろぐのですが、引換えにネッキングの遊戯を今後も継続的に許してくれると聞くや、渋々の体を装い、しかし内心の嬉しさは表情に現れ、それを颯子に見透かされ結局購入の運びと相成るわけであります。

実はこの卯木老人、大変な吝嗇で、実の娘から家屋購入に当たって当座の利息分として借金二万円を頼まれるもこれを断るという寓話が挿入されております。娘には貸す金の二万円すら惜しむ親が、息子の嫁とのたわいないネッキングに大枚三百万をはたいて悔やまない。これぞ瘋癲の瘋癲たる所以でありましょう。

さあ、そのキャッツアイの指輪からすれば、ご覧いただいております当店自慢、猫の目の瞳もきりっと涼しいクリソベリルキャッツアイのリング、随分と安い買い物じゃございませんかご主人。

嫁姑の相性の悪さはもう昔から言い尽くされているほど。母親にとって息子の嫁というものは宿敵、天敵、親の仇のようなもの。ところがアナタ、父親にとっての息子のお嫁さんというものは実に可愛いもの、特にむさくるしい息子だけの家庭の父親にしては初めての娘であって、尚且つアカの他人、尚且つ年若い!さらには遺伝子を引き継いだ息子の好みは我のまた好み。たまにはこんな指輪をカワイイお嫁さんにプレゼントしてみたらきっと良いことあるかもしれませんぜ旦那。ネッキングすることは叶わずとも、チョーキングくらいはしてくれんじゃね?

嗚呼!早くわが家にも颯子みたいなお嫁さん来ねーかなー!あっ、アカンは、ウチは娘しかおらんかったんや・・

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